武士道

武士道といふは死ぬ事と見付けたり。
はすなわち如何に美しく死ぬか、またそれは 如何に美しく生きるかの逆説です。

武士の世は、明治1868年とともに終焉を告げ、すでに140年以上が経過しようとしています。 今の世は当時とはさま変わり、経済優先の時代になり、日本のこの美しい侍の哲学も今では少数の人々にしか受け継がれていないと思うのは私だけでしょうか? それでも父、母や祖父母の時代には、侍の精神は未だ生きていたと思います。 しかし敗戦後、悪うございましたと、自国の伝統を否定し、自由、平等、生命が最上の価値におかれ、日本語の美しさも忘れられ、分けの分からぬ外国語が蔓延し、日本人の心の豊かさはどこかに行ってしまった感があります。武士は質素を常とし、侍は如何に自分が飢えていてももっと飢えた人をみれば他人であっても、武士は食わねど高楊枝で、俺は満腹だから、この握り飯を食えと差し出すのが武士でした。 これは、元禄13年1700年に山本常朝によって書かれた「葉隠聞書の一節で、次のように続きます。 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くぼかりなり。別に仔細なし。胸すわつて進むなり。図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。 二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。 我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。 この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違いなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。」 (聞書第一 九九頁)
この武士道は、さむらいの心得であり、そのさむらいとは、、、 「……さむらいとは 『おのれ』を棄てたものだ、この五体のいかなる隅にも我意をとどめず、御しゅくんのため藩家のため国のために、いつなんどきでも身命をなげいだす者のことを云う、生死ともに自分というものはない、常住坐臥、その覚悟を事実の上に生かしてゆくのが  さむらいの道だ……、おまえの眼からみれば、武士は両刀を差し肩肘を張って、いばりかえっているもののように思うであろう、しかし実はまるで違う、武士はその一挙手足がすべて御しゅくんにつながり、藩家に国につながっている、自分の恥は御しゅくんの恥だ、さればこそ独りを慎み、他行に威儀を崩さないのだ、自分の威を張るためではなく、御しゅくんのおん名が大切なればこそだ、 ……しかもこれらのことは家常茶飯のうちに溶け込んでいなくてはならない、そうしようと努力をしているあいだはまだ本当ではない、起きていようと寝ていようと、独り居にも会席にも、あらゆる時と場合にそれと気づかずしてこの覚悟が生きていなければならない、その覚悟をかためるのが武道の神髄なのだ、 ……ちょうどおまえが自分では気もつかず、しかもなんの必要もないのに草を抜き瓦礫を選り棄てたように」                              山本周五郎 著作より抜粋 ここに世界に誇る日本の最も美しい伝統の美、日本刀を紹介させていただきたいと思います。日本刀は、武士の魂と言われる如く、鞘を払って静かにみるだけで、自己の心を写してくれます。困難なとき、迷った時、悲しいとき、熱情にかられた時、侍の魂を蘇らせ生きるヒントを与えてくれます。しかし真剣は、私たちの手の届く価格では中々手に入れるのは難しく、筆者は飾り用刀、居合い刀でも十分にその自省に心を諌める為に、また人間の身体的知性を蘇らせるのに役立つと信じています。 少しでも「美しき日本」の伝統継承のためにお役に立ちたいと念願しております。
                            
瀧山市右衛門